恋は夕暮れ 1
彼を初めて見かけたのはいつも利用している本屋での事だった。
毎週月曜日に発売の雑誌を買うために仕事帰りにその店に行くのが習いとなっていたので、その日も同じように立ち寄ったのだ。
「いらっしゃいませ」
店に入るといつものように店員の声がして、何故かそこで違和感を感じた。
しかし大したことでもないだろうと雑誌コーナーへ行き、目当てのものを手にしてレジへ向かう。
今日はつり銭を出さずに雑誌を買うために、お昼に小銭が出るようにしていた。
この時間に入っている女子高生らしきバイトはたびたびお釣りを間違えるので辟易していたからだ。
レジで雑誌を渡したときに、先ほどの違和感が何だったのか分かった。
「いらっしゃいませ」という声が、男のものだったからだ。
この前の女子高生の方はいかにも今時な、パンダのように目の周りを黒く塗りたくり、品のない上に傷んでボロボロになった
金髪に近い茶髪だったのに比べて、今目の目の前にいるのは、艶やかな黒髪にきりりとした表情の青年だった。
これほど対照的なのも珍しい。(というか、あの少女がよくバイトの面接に受かったものだと思う。)
なんだかそれだけでこの青年に好感が持てた。
「570円です」
手馴れた様子で袋に詰めながらレジを操作する。
言われた金額丁度を渡すと、「570円丁度お預かりします」と言いながらレシートを寄越す。
そのとき、その青年が俺を見上げる形となり、彼が一瞬目を見開いた気がした。
彼がいくつなのかは知らないが、なんだかその様子が幼く見えて思わず笑みがこぼれる。
俺は何故か、いままで言ったこともないのに自然とお礼の言葉を口にしていた。
それから一週間、毎日のように違う女性から誘いを受けながらもなんだかその気になれず、珍しく一人寝の夜が続いていた。
こう言うと嫌な顔をされがちだが、断るのもいい加減面倒くさい。
さっきもまた今日はどうなのかと聞かれて多少イライラした気分で残業もせずに社を出たのだった。
そこでふと、今日が月曜日であることに気付く。
そうだ、本屋に行かなければ。
本屋というと、あの青年を思い出す。
なんだか彼を思い浮かべると気持ちが和む気がした。
本屋に入ると、例の青年がちょっとぽやんとした顔でこちらを見た。
俺が目に入った途端、ちょっと緊張したような表情になる。
おそらく客がいなくてヒマで、ぼーっとしていたところを見つかったせいだろう。
そんな様子がまたおかしくて。
今日は時間があるから少し立ち読みして行こうと思った。その分彼を見ていられる時間も増えるわけだし。
彼はといえば、俺に仕事しているということをアピールしたいのか、崩れてもいない本を直したりしている。
ふとそこで、とある疑問を思い立った。
「あの、ちょっといいですか」
急に声をかけて彼は驚いたようだ。声が少しおかしかった。
「え…?なんですか?」
「この前までいた人はどうしたんですか?」
いや、この前いたバイトはどうでもいいのだが、彼がこの時間帯にずっと居るのかが知りたい。
「浅岡さんですか?彼女なら、学校に禁止されてるのにバイトしてたらしくて、学校に見つかって辞めましたよ」
バイト禁止!?その前にあの格好はいいのか?今の学校はよく分からない。
そんな内心はどうでもいいとばかりに、俺は肝心なことを聞いた。
「そうなんですか。じゃああなたがこれからずっと月曜日に入るってことなんですね」
「はい」
彼がなんだか憮然としているのは気のせいだろうか。
とりあえずお礼は言っておこう。
「ありがとうございます」
そう言うと、慌てたように顔を赤らめながら、
「ど、どういたしましてっ」
と言ってくれた。
このくらいの年齢のしかも男に言うには失礼かもしれないが、ちょっと赤くなったその様子が『あぁ、なんだか可愛いな』と思ってしまった。
雑誌の会計をしてもらいながら、ふと彼の名札を見ると、『仰木』という文字。
なかなか珍しい名前だ。なんと読むのだろう…そう浮かんだ瞬間には声に出してしまっていた。
「“あおぎ”さん…と言うんですか…?」
すると彼はちょっときょとんとした表情のあと、すぐに自分の名字を言われてると気付いたらしく、
「え…?あ、これでおうぎって読むんです。」
と説明してくれた。
そうだ、あまり野球に興味がないせいですぐに思い出せなかったが、とある球団の監督の名字と一緒だと思い当たる。
俺はそこで、これが彼の下の名前も聞きだせるチャンスだと気付き、すかさず続けた。
「あぁ、そうなんですか。下のお名前は…」
すると彼は少し眉を寄せてこちらを見る。
それはそうだ、こんな何処の誰とも知れぬ男に名前を聞かれたら不審に思うに決まっている。
俺はちょっと焦って言い訳じみたことを言った。
「別に他意はありませんよ。あ、あなたにばかり名乗れと言っておいて自分の名前を明かさないのは失礼でしたね。
私は直江信綱と言います。」
少々早口になってしまったことに気付いたが、まぁいいだろう。
すると、ハッと目を奪われるような笑顔をこちらへ向けて
「下の名前は高耶っていいます」
と口にした。
彼に変質者と思われなくてよかったという感情と、その笑顔を見ることによって自然と詰めていた息を軽く吐きながら、
「いいお名前ですね」
と俺にしてはなんとも気が利かないことを言ってしまっていた。
その後店を出て、レジで彼の名前を聞き出すことに成功して柄にもなく浮かれている自分に気付いてしまった。
なんだこの浮遊感は。
「仰木…高耶…」
呟いてみればそれだけでくすぐったいような気持ちになる。
俺は今まで人を好きになったことがなかったから、その感情が一体なんなのかそのときはまだ気付いていなかった。
<さめコメ>
cause and effect の直江サイドです。
いや、あの終わり方があんまりだったので、回想という形を取りながら
こちらで進めようかと思った次第です。
つーか…直江まで恋するオトメ!?
ちなみにこのタイトルはスピッツの曲から拝借…
気になったら聴いてみてくださいv